八ヶ岳は、縄文時代の銀座だった?
八ヶ岳は、縄文時代の銀座だった?
10月に甲府駅前でも「縄文フェス」というイベントが開催されていましたが、
こちらの写真も金生遺跡(北杜市)でのひとこま。
山梨では縄文文化が結構熱いんです。
というのも、八ヶ岳西南麓が、日本で最も縄文時代の遺跡が多い場所の一つなんです。
<参考動画>
八ヶ岳山麓の縄文遺跡群(長野県富士見町井戸尻考古館で放映 約6分)
https://www.youtube.com/watch?v=qu8tT8TWfB8
八ヶ岳と南アルプスのあいだの中部高地には、
紀元前4000年頃に多くの集落が繁栄し、縄文中期には爆発的に増えました。
なぜ八ヶ岳でそれほど縄文文化が栄えたのか?
それは豊かな水をベースに、食料に恵まれていたからだと言われています。
八ヶ岳と車山連峰の標高1,000m以下の広大な台地は、
植物性の食料と山に棲む中小の動物、渓谷に棲む魚介類など食料資源に恵まれていました。
縄文人の食事は、鹿・猪・栗・どんぐり・山芋が主体だったとか。
エゴマの種を入れて味を良くするなど、結構グルメ?だったようです。
栗は栗林が半分栽培状態だった、なんてこともDNA分析でわかるそうです。
確かに現在でも、八ヶ岳の食はとても豊かです。
鹿などのジビエ、やまめなどの川魚、
直売所ではきのこや栗などの木の実、野菜も豊富です。
その上、東京などから移転するレストランも増えているので、今後もますます面白くなりそうですね。